平日並の時間に目が覚めて、ぼっとテレビを見てたらPerfume特集が「とくダネ!」で放送。内容自体は既存のインタビューの鉄板ネタとか、割とスタンダードな取り上げ方だったので、まあ敢えて特筆すべき話もないですが。自宅スタジオでの作業風景を録られているはずなのに、サングラスをしている中田ヤスタカがテレビ的だったくらいで。
で、まあその辺はどうでもよくて、ワイドショーなので人気の理由について適当な分析をする有識者?が出てくるわけですが、そこで出てきた言葉「楽曲のクオリティが高い」。ふーん。前から思っていたけどここで書いておこう。「楽曲のクオリティ」とかいう言葉を使った分析は、まじめに聞いちゃダメ。
だいたい、「楽曲のクオリティ」って何よ。工業製品みたいな品質の絶対的基準が、音楽にあるの?つーか、工業製品でも、宝飾品でも良いんだけど、「ある程度以上のクオリティ」を保証する話はあっても、それ以上のものにランク付けをするようなクオリティの基準なんてないんじゃないの?ましてやそれを文化のジャンルに持ってくるのは変だろう。「この小説のクオリティは高い」「あの人は本当にクオリティの高いお茶を淹れるね」…。
まあ、アニメとかだったらある話かもしれない。あれは共同制作という点で工業製品的な話もあるし、商品として保たれているべきクオリティがない物もあることもたまにある。でも、まあ音楽だったら商業音楽として流通しているものとか、それ以外でも多くのリスナーがついているのは、大抵ある程度の質は満たしているだろう。そこから上を「クオリティ」という言葉、尺度で評論するのは、なんか違和感を感じる。
と、やけに引っ掛かるのは、「他のアイドル音楽はクオリティが低い」という裏の含意を読み取ってしまうからなんだろうな。じゃあそのクオリティって何よ、説明してよ、という思いがある。…、で、うちのページを検索したらクオリティという言葉を色々使っているわけで…。言行不一致。
(この項のポイント)音楽に「クオリティ」という評価基準はない。あったとしても商品として成立しているかを区別する「足切りライン」としてしか存在しない。「楽曲のクオリティ」とかいう言葉を使っての評論は眉唾。
ビッグコミックスピリッツ(2008 No.22+23)、長澤まさみが「隠し砦の三悪人」関連のグラビア、というか室内での撮影+インタビューといった記事。むしろ映画のカットを見たい気がする。
週刊プレイボーイ(2008 No.19+20)、スザンヌが7P(塔下智士)、これは撮り方として新たなアプローチですね。一回このレベルを出しておくのは意義があった。秋山莉奈が7P(井ノ元浩二)、佐藤和沙が6P(塔下智士)、仲村みうが5P。仲村みうグラビアは同じアプローチが「KING」誌にあって、かつ先行者のそちらの方がセンスがいいという、残念なグラビア。
あと、センターにU-15の5人(川島海荷、小野恵令奈、西内まりや、美山加恋、荒井萌)。巻頭に希志あいのの実妹(ということらしい)の紗希せりか。敢えて「顔が違うよね」と言われるべく出てきたのだろうか。
各方面(含むツッコミ)での好評をみて「これは買っておくべきか!」と思い、平田薫写真集「卒業」を購入しました。「制服脱衣グラビアとして、『アヤカのナツ』に匹敵する」というツッコミをいただきましたが、より読者に当事者的錯覚を抱かせる、複雑な文脈を含ませているような、そんなディレクションに思えました。
小松彩夏と同じアミューズとはいえ、平田薫にこういうイメージを持たせるのは意外だった。可愛いとは言え「美形」という方向性とは違う、やや親しみやすさを持つ平田薫だけに、違った趣と読後感を感じます。「制服脱衣」の文脈が背骨を通していますが、他にも水着のカットなど、肉感を感じさせる(ビジュアルイメージとの落差から余計に強く感じる)部分もありますので、お手にとってご覧になることを推奨。表紙、裏表紙だと制服の部分しかわかりにくいのが少し残念。
既に必読の全ページレビューもございますし、めっきり写真集レビューが苦手になった私なのですぐにレビューが書ける気がしませんので、この辺でとどめておきます。あ、あと「表情」「衣装」だけでなく「髪型」も吟味しながら見ていくのが、この写真集だとおすすめです。
阿武雲さん(4/27): まあ、全体的にメイクが変ですよね>紗綾。もっとピュア感を出せる気もしますが。
イッカクさん(4/27): 鎌田奈津美のバリエーションの広さとムラのなさ、というのは確かにそうですね。で、ブログでもそうですか…。
試験さん(4/27): 各論、どうなるんでしょうね。楽しみでもあり、不安でもあります。しかも最初が「音楽系」ですからねー。Perfumeの呪縛をどう乗り越えるか、2008年の(一般に賞味期限が切れたと思われている)ハロプロをどう意味づけるのか、さて、どうなりますやら。
coccooさん(4/27): 北乃きいの「しゃべっチャイナ!」を見てもダメっぽかったのですが、「テレビで中国語」は見るべきですかねー。ローラ・チャンのインタビューは確かにざっくばらんで面白かったです。相武紗季は確かに不思議なアイドルです。「絶対彼氏」が成功の流れみたいで、良かった、良かった。
イッカクさん(4/27): スザンヌをプレイボーイ的にきちんと撮るとこうなるんですよね。確かにP4とP5は見応えがあります。
かけもちさん(4/27): そうだ、予告で見て気になっていたんですよねー。いつか必ず見ます…>ゴーオンジャーアイドル話。で、逢沢りなDVDの話、どこかで見たなー、と思ったらAmazonにはもう上がっているんですよね。しかし、レッドに海パンがあるからって、期待して良いんだろうか…。で、週プレ小野恵令奈は、確かに「エッヘン」顔ですね。
畑中 智晴さん(5/6): 「正しい音楽の評価基準」=「論理的に誤っていないもの」ではないでしょうかね。逆に、畑中さんはどのようにお考えですか?
かけもちさん(5/6): うーん、音楽理論的な話も、「クオリティ」という評価軸とは違うと思うんですよね。Perfumeの成功については、色々原因を推定するのも面白い話なのですが、「クオリティ」という言葉を持ち出すような評論家は眉唾(というか、やっつけ評論過ぎる)だろう、というのが私の主張です。
私はPerfumeの成功理由を語る言葉は持ち合わせていませんが、中田ヤスタカに任せて以降、ぶれることがなかった部分については、単純にすごいな、と思っています。
じめこさん(5/6): まあ、一般の人が「クオリティが高いので好きになった云々」っていうなら、その人の中の良悪判断基準をクオリティと想像して(補完して)も良いんですけど、売れ行き分析を語る評論家が「クオリティが高いから売れた」とか言い出すと、じゃあそれって何よ、って言いたくなります。
それでは、「正しい」音楽の評価基準というのはどうお考えでしょうか?
番組見ていないのでハズしているかもしれませんが、音楽学校を卒業されたような音楽評論家が、「この曲は音符の並べ方がよい」とかおっしゃるのでしたら多少の説得力があると思うのですが、クオリティーの高い楽曲イコール売れる(or話題になっている)曲と言えるかどうか疑問です。先日、坂本真綾のシングル『トライアングラー』を購入しましたが、マクロスFのOPでのバルキリーの動きと彼女の歌がとても合うんですよね。 <br>私はクオリティー云々よりも「聴かせ方」というのが重要じゃないかって思うのですが、パフュームが今注目されているのは、これこれこういう聴かせ方が成功したからだという(どちらかというと、マーケティングの側面からのアプローチになるかもしれませんが)方面から説明しやすかったのではないのでしょうか。
私も今朝たまたま見ていて、同じように「クオリティ」という言葉に凄く違和感を感じました。 <br>どこがどうなの?俺らにわかるように説明してよ!って感じ。 <br>インタビューされてた一般の人も「クオリティが高い」とかわかったようなこと言ってましたね(笑)。
ごぶさたしております>akarikさん。 <br>Perfumeのことは嫌いじゃないけど、QJが巻頭特集したあたりから以降のメディアとセケンの彼女たちの持ち上げ方には正直ムカついていた私としましては、読んでいて実に痛快な気分になる文章でしたわ。 <br>
akarikさんの言及には直接関係ない話ですが、ミュージックマガジン掲載のアイドルCDに対する評論があまりにもひどいと思った吉田豪が提言したら、「じゃああなたが書いて」と言われて、最近は同誌でアイドルCDのレコ評(CDなのにレコ評でいいのだろうか)をやってるらしいです。 <br> <br>http://gosan.cocolog-nifty.com/pod/2008/03/7408328_6b72.html <br>(本人のコメントはポッド音源で聞けます) <br> <br>ミュージックマガジンの前任者がどういうことを書いていたか知りませんが、おそらく「アイドルは音楽のヒエラルキー(ってものがあったとして)において下層に位置する」という考え方で書いてたんじゃないかというのは想像できます。 <br>
放送は見ていませんが(と断った上で)、「出来が良い」だの「水準が高い」だのといった言い回しとも重なる問題ですし、興味ふかいです。例えば、彼の好きな対象について「だってクオリティが低いじゃないか」と言った場合、その彼は怒るだろうか、とかも思いました。▼そうして僕の思いついた、この言葉が関わる場面を挙げてみます(楽曲とは限らない)。A.年表上の配置と理論的技術的評価。B.反響の原因究明とマーケティング。C.快い心理的作用と内省。D.価値観の共有とコミュニケーション。おおむね、ABは送り手側(パフォーマー,作家,批評家,製作者)、CDは受け手側をイメージしています。▼何を目標に設定して話されたのかが大事なのかなあ、と感じました。《売れ行き》の成功理由を問われて、「クオリティが高い」からだ、と回答して済ませるとしたら、それは《やっつけ》である。そうだろうなあ、と思います。