朝6時過ぎの新幹線で上京。近くにいた、夢の国へ行くであろう女子二人組が、京都に着く前から延々他人の悪口を喋っていて、「ああ、性格の悪さが顔に出ているタイプの人だなー」と思ったので、先日の「しゃべってしゃべって120分」を聞きながら移動。新横浜付近で終了したのでヘッドホンを外したが、まだそういう話をしていた。
東京には長時間滞在せず、9時過ぎのやまびこで仙台まで。周りは仙台へ女子旅に行く人ばかりだった。で、他にもジャニか韓流が仙台公演をやるのか?という客層だったので、何かあるのかな、と思ったが、GLAYがセキスイハイムスーパーアリーナでやるみたいだった。
仙台駅で駅そばで昼食。かき揚げが揚げたてで、出汁も美味かったが、そばはもう一つだったかも。東北本線で小牛田へ移動後、石巻線で前谷地、そこから気仙沼線で柳津まで移動。そこから気仙沼線のBRT復旧区間に乗って、気仙沼まで。柳津では車で来たバスヲタの人が、ICレコーダーでエンジン音を録音していた。
BRTとはいえ、全線専用道路を通るわけではなく、普通の道路を通る箇所も多かったので、代行バス感しかなかった。途中、客は私と、もう一人BRT目当てで来た乗り物ヲタの二人だけの時間帯も多かったが、途中で女子中学生の7人組が乗ってきて、賑やかになった。
一般道路を走る気仙沼市内で若干渋滞に巻き込まれた。で、気仙沼に到着。全線走破を意図して気仙沼で降りたが、市街地や観光客向けの市場は南気仙沼の方にあるみたいで、そちらで降りた方が良かったかも。気仙沼駅そばには何もなかったので、駅の売店でフカヒレ関連のお土産を買って、そこから再度大船渡線のBRT復旧区間で盛まで。
気仙沼線沿線を見ても、復興まで道遠しだなー、と思ったけど、大船渡線沿線はさらに厳しかった。特に陸前高田市。
震災当日の映像で陸前高田市の映像があり、かなりの高台まで津波が押し寄せていて、どうなっているんだろうな、と思って気にしていたが、現実は厳しかった。海沿いの地域は建物はほぼ全く残っておらず、そこに土が盛られていた。これが古墳というか、墓地のように見えて胸が痛んだ。
人口減の日本で地方に住むべきなのか、いや故郷を守るのが人のあるべき姿なのか。津波などの危険を避けるべく高台にすむべきなのか、いや日本の集落は全て海沿いの平坦地に発達してきた歴史がある、なのか。どちらも正しく、難しい。でも、そこに住みたい人がいる、のなら支援は続けていくべきなのかなとも持った。奇跡の一本松はバス路線から遠いところにあったので見られず。
盛からは三陸鉄道で釜石へ移動し、そこから釜石線で花巻、東北本線で盛岡。釜石線の陸中大橋付近の車窓も見たかったのだが、もう夜遅くで何も見えず。いつかの機会に見てみたい物。盛岡には22時頃着。ホテルで一泊。