朝起きて下に降りたら父がいすにすわっているが、涎を垂らして意識がない様子。呼びかけにも体をゆすっても反応せず、これはあかん、と救急車を呼ぶ。呼んでから来るまでに慌てて着替えと荷物の準備。
救急車で搬送されて、しばらく待ってからの説明は、動脈瘤破裂でもう助からない、持って今日とのこと。大動脈瘤は15年以上前に父が大腸がんの手術をしたときから「これが破裂するときが死ぬとき」と指摘されていたので、その存在は分かっていたし、父もある程度覚悟をしていただろうけど、15年以上なんともなかったので何となくもう別要因で亡くなるのでは、という感覚になっていて、覚悟は出来てなくて、動揺する。急ぎ姉を呼んで、救急病棟の片隅の部屋でまつ。入院して病棟にあげてしまうと会えなくなるので。
しかし、昨夜の腰の痛みはすでに破裂が発生していたからかな、と思うと少し悔やまれるところもある。破裂したら死に至るのはそうなんだけど、痛みを緩和する何かがあったのでは、と思ったり。昨日までそんな前兆もなく普通に生活していた父がこういうことになると、「ピンピンコロリ」は理想の死に方だ、とは言うが、残された者にとっては、1日とかで良いので覚悟を決める準備期間が欲しい、と思う部分もあった。
先に上の姉が来て、父に呼びかけたら、下がり続けていた父の血圧が少し回復。その後下の姉が来て、姉の子(父にとっては孫)が4人(一人は奥さん)来て、大分回復した。全員揃った後、10時に病棟にあげられる。すでに危篤ということもあり、付き添いも出来ると言われたが、かなり縛りが厳しい(自費の抗原検査必須)ということでそこまではせず、何人かずつで10分程度面会をして、そこで一旦みんな帰宅した。
そこから図書館に本を返したり、近くで昼食を食べたり、買い物をしたり、家の用事をしたりしていたら、16時半頃に病院から電話。脈が落ちてきているとの事。急ぎ病院に向かう。
病院に着いたら、すでに脈拍は停止していた。可能なら姪(医療関係者)が死後の処置を手伝いたいと言っていて、病院側は少し待つ気配だったが、ちょっと来れない時間帯になったので、それをなしにする、というところの死亡確認までの手順の認識の相違などもあって1時間かかった。17時25分に死亡確認。
その後葬儀社と調整。この地域定番の葬儀社に連絡し、19時にお迎えに来てもらう。私は一旦父の着替えの服を取りに帰り(持ってくるのを忘れた)、18時からは処置を待つ。30分くらいで処置は終わり、そこからは父の安置されている部屋で2人で過ごす。
19時過ぎにお迎えが来て、一緒に運搬の車に乗って会館に移動、今日から式までは会館に安置してもらうことにした。当日の説明を受け、お寺に電話をかけて日時の空きを確認し、火葬場(こちらの確認は葬儀社がしてくれる)の予約が取れたことを確認したのが21時くらい。下の姉の家族が19時くらいから会館に来てくれていたので、そこから少ししゃべって、姉の家族が22時頃に帰宅、私も22時半頃に帰路に着いた。
帰宅後は買ってあった夕食を食べて、ビール1缶と日本酒4杯。時折寂しさから感情が高まるので、酒で紛らわせて寝た。