朝9時半頃に、両親と姉と2台の車に分かれて出発。私が先を走っていたが、市内の複雑なところで駐車場もなく、道に迷って難儀した。
葬儀の行われている寺に入ったが、そこで母の調子が悪くなり、控え室で横になる。先日から高血圧気味だったとのこと。寺での葬儀なので、暖房もあまり効かず、寒い部屋で長時間いることになるので、それは厳しいだろう、と母は出棺の時だけ参列することにする。告別式が終わり、出棺も済んで、姉二人と母は車で帰宅。
父一人残すのもどうか、ということで私は骨上げ、初七日法要まで参加した。終了後、従兄弟夫婦を近くの駅まで送り、帰宅。近くの駅に来るまで誰かを送ることもあまりないので、駅の構造を理解しておらず、少し遠いところに下ろしてしまい、ちょっと悔いが残る。
こういう葬儀に出ると、自分の社会性のなさに落ち込むことが多い。葬儀の時くらいしか見ない親類の顔と関係性が覚えられないとか、そのためもあって話しかけられないとかで、両親が死んだ後、親戚の葬式に呼ばれても所在なさげになる自分が眼に浮かぶ。同世代の人だとそれなりに付き合いの記憶もあるみたいだが、私は遅く生まれた子なので、いとこと絡んだことがほとんどなく、あんまり分からないのが辛い。まあ、そう行っていても仕方ないので、これから参加して、覚えていくしかないんだけど。
両親共に疲れ果てていたので、実家の近所に夕食を買いに行き、実家で食べる。あまり両親が買わなさそうなあなご飯とか豚の角煮とかを買ったら、わりと好評だった。そこから自宅に戻る。
帰りにUSB3の拡張カードとフロントポートを買って、週末にセッティングしようと思っていたが、帰宅したら急にテンションが上がり、セッティングをし始めてしまう。PCの中はホコリだらけで、そこの掃除に手間取った。結局USB3の拡張カードが上手く動かず、現在はフロントポートのみ使っている。