連休最終日ということで、休養に費やす。昼寝も2時間くらい。
といいながら、少し夕方に外出。湊町リバープレイスでのイベントに出展している某店に買い物に行ったり、難波近辺をぶらぶらしたり。
夜は衣替えに向け、冬服の整理と夏服の取り出し。クローゼットの片付けも実施して、だいぶん片付いた。
平日並の時間に目が覚めて、ぼっとテレビを見てたらPerfume特集が「とくダネ!」で放送。内容自体は既存のインタビューの鉄板ネタとか、割とスタンダードな取り上げ方だったので、まあ敢えて特筆すべき話もないですが。自宅スタジオでの作業風景を録られているはずなのに、サングラスをしている中田ヤスタカがテレビ的だったくらいで。
で、まあその辺はどうでもよくて、ワイドショーなので人気の理由について適当な分析をする有識者?が出てくるわけですが、そこで出てきた言葉「楽曲のクオリティが高い」。ふーん。前から思っていたけどここで書いておこう。「楽曲のクオリティ」とかいう言葉を使った分析は、まじめに聞いちゃダメ。
だいたい、「楽曲のクオリティ」って何よ。工業製品みたいな品質の絶対的基準が、音楽にあるの?つーか、工業製品でも、宝飾品でも良いんだけど、「ある程度以上のクオリティ」を保証する話はあっても、それ以上のものにランク付けをするようなクオリティの基準なんてないんじゃないの?ましてやそれを文化のジャンルに持ってくるのは変だろう。「この小説のクオリティは高い」「あの人は本当にクオリティの高いお茶を淹れるね」…。
まあ、アニメとかだったらある話かもしれない。あれは共同制作という点で工業製品的な話もあるし、商品として保たれているべきクオリティがない物もあることもたまにある。でも、まあ音楽だったら商業音楽として流通しているものとか、それ以外でも多くのリスナーがついているのは、大抵ある程度の質は満たしているだろう。そこから上を「クオリティ」という言葉、尺度で評論するのは、なんか違和感を感じる。
と、やけに引っ掛かるのは、「他のアイドル音楽はクオリティが低い」という裏の含意を読み取ってしまうからなんだろうな。じゃあそのクオリティって何よ、説明してよ、という思いがある。…、で、うちのページを検索したらクオリティという言葉を色々使っているわけで…。言行不一致。
(この項のポイント)音楽に「クオリティ」という評価基準はない。あったとしても商品として成立しているかを区別する「足切りライン」としてしか存在しない。「楽曲のクオリティ」とかいう言葉を使っての評論は眉唾。